なんば駅周辺(南西エリア)ってどんな街?街ぶらしてみた
「なんば」といえばビルが立ち並ぶ繁華街、商業街のイメージが強く持たれる方が多いかと思います。
実は、そんななんばの南西部は住宅街になっているんです!
今回はそんななんば南西部を街ぶらして、どういう街並みになっているのか見てきました!
"なんば"とは?
なんばは大阪を代表する二大繁華街の1つで、梅田を中心とする「キタ」エリアと対をなす、「ミナミ」エリアの中心部となっています。
その歴史は古く、古事記に記載があります。
上町台地の東部を「難波大郡」、西部を「難波小郡」と称したとされています。
713年、東部の難波大郡は「東生」、西部の難波小郡は「西生」と呼ばれるようになりました。現在の「西成」はここからきていて、「西生」という名称には「上町大地の西に新しくできた集落」というような意味が込められています。
現在の難波の元になった西成郡難波村は、現在よりも北の位置、心斎橋のある辺りの南船場・島之内、下船場、堀江の一帯に広がっていて、南船場を中心とした上難波村とそれ以外で構成された下難波村に分かれていました。
しかし大坂城の城下町の拡張に伴い、上難波村は少しの飛地を残してほぼ消滅、城下町が幕府直轄の管理下に置かれた1619年には人口が0になっていました。
事実上の消滅を迎えた後も南船場には「上難波村〇〇町」という町名が大正初期まで、堀江には「新難波〇〇町」という町名が近世まで残っていたそうです。
一方で、下難波村は元和・寛永年間(1615〜1644年)に行われた新町遊郭(大坂唯一の、幕府公認の花街)の開発の影響で移転を余儀なくされ、道頓堀川を越えて南の、現在の浪速区元町の辺りに集落ごと移されることとなりました。
その後、難波村は拡大を続け、大坂の中心的なエリアとしてどんどんその存在感を強めていき、現在に至ります。
なんばの駅
南海難波駅、地下鉄線(Osaka Metro)なんば駅、近鉄・阪神線の大阪難波駅と、多くの鉄道線が乗り入れており、ミナミの玄関口の役割を果たしています。
駅を出ると、何やら迫力のある建物が現れます。
ホテルロイヤルクラシック大阪
こちらは2019年12月に、旧新歌舞伎座跡地に誕生したホテルです。
新歌舞伎座は、千日前にあった大阪歌舞伎座の後継として1958年に開業した劇場で、その名前に反して滅多に歌舞伎公演を行わない劇場として有名でした。
人気の映画スターや歌手をメインに据え、「座長芝居」「歌手芝居」を月替わりで公演する方式を発明した革新的な劇場でした。
やがて老朽化で2007年に移転が決定、2009年、五木ひろしやコロッケらによる歌謡ショーを最後に閉場となりました。
その後、上本町にある13階建ての複合施設「上本町YUFURA」の6階に移転し、現在も営業が続いています。
そんな歴史ある劇場の意匠を継承し、国立競技場を設計したことでも知られる世界的な建築家・隈研吾氏の設計によって生まれ変わったのがこちらのホテルです。
新歌舞伎座の上にビルを乗せたような奇抜なデザインで、道ゆく人の目を引きます。
少し西に向かい、なんばの南西エリアを見ていきます。
難波新地跡・座裏
この辺りはかつて「難波新地」と呼ばれた遊郭が広がっていたエリアです。
当時、大坂(現在の大阪市の辺り)の南部には「南地五花街」と呼ばれる5つの花街が広がっており、難波新地もその1つでした。
商業街である船場からの距離が近かったことに加え、この地が都市の端っこに位置していたことでお上からの認可も降りやすく、このミナミの地には花街が栄えることとなったのです。
特に難波新地は遊郭が密集しており、そのせいか失火が相次いでいたようです。
特に甚大な被害をもたらしたのが1912(明治45)年の「ミナミの大火」で、難波新地で広がった火が千日前や生國魂神社まで延焼し、約5千戸を焼失させました。
しかし死者は消防手2名を含めた4名と、被害を鑑みると比較的少ない犠牲となりました。
これは当時の人たちの火災に対する心構えがしっかりしていたことや、南北方向に火が広がらなかったために避難が容易にできたことが功を奏したといわれています。
このミナミの大火の後、千日前には「楽天地」と呼ばれるレジャー施設が開業し、多くの人が訪れました。
ちなみにこの楽天地が閉鎖した後、先程ご紹介した新歌舞伎座の前身である大阪歌舞伎座が建てられ、大阪歌舞伎座が閉場した後に「千日前デパート」が建てられます。
なんの因果か、この千日前デパートは後に戦後最大といわれた火災に見舞われることとなるのです…
一方、難波新地はミナミの大火の影響を受け、阿倍野区に移転しました。これが今の飛田新地の原型です。
さらに少し南西に歩きます。
この辺りは「座裏」と呼ばれるエリアです。
「座裏」という名称は、先程ご紹介した「新歌舞伎座」の「裏」という意味で、2009年に新歌舞伎座が閉場した後もこの名称が使われ続けています。
座裏は約200もの店舗が立ち並ぶ飲食街です。
若者向けの店の増加やインバウンドの影響もあり、熱いグルメスポットになっています。

歩いていると、お花屋さんを発見。なんとここは弊社スタッフ・中西がプロポーズのためのお花を買った店なのだそう。
ロマンチックですね。
お花を携えてプロポーズ、なんともロマンチックですね。
さらに歩くと行列ができているお店を発見しました。
この「わびすけ」さんは、SNSを中心に若者からの人気を集めている人気店です。
この日も20人ほどの行列ができていました。
「肉だし巻き定食」が人気のようです。
さらに西に歩くと見えてくるのがイタリア料理店の「PIENO vivace」です。
PIENO vivace
難波周辺に3店舗を構えるイタリア料理店「PIENO」のうちの1つです。
「PIENO」は「満杯」、「vivace」は「活気ある」という意味です。
弊社スタッフもここのピザやパスタをよく食べにいきます。
南に歩くと、「天天酒家」さんがございます。
ここは麻婆豆腐が美味しい中華料理屋さんです。
松ちゃんも訪れたお店
ABC朝日放送「松本家の休日」でも紹介されたことがあり、店の前の看板にもその様子が載っています。
餃子定食をいただくことに。
餃子に白米、スープ、柴漬け、麻婆豆腐もついて800円!ボリューミーな満足サイズです。
座裏の西側には、阪神高速が通っています。
この地下には、2031年開業予定のなにわ筋線の南海新難波駅(仮称)ができる予定です。
南海新難波駅ホーム予定地
なにわ筋線は2023年3月開業の大阪駅(うめきたエリア)と、JR難波駅・南海新今宮駅を繋ぐ路線です。
この路線を南海とJRに接続させることによって、関西国際空港や新幹線へのアクセスの向上、大阪の中心的な地域を繋ぐ新たな軸の形成とネットワークの強化、沿線の活性化などが見込めます。
元町
さらに西側には、オトナなホテルが多く建ち並ぶエリアがあります。
ニヤリ…
高速道路の付近は、ホテル街が多いようです。
これは、高速道路の近くは騒音被害が起こりやすいので住居に不向きであることや、ドライブデートをしたカップルがそのまま入りやすいから、といった理由があるようです。
そのまま歩いていると、中西が昔住んでいたというマンションを発見しました。
この辺りは元町という住所で、先程のホテル街と隣接していますが、小学校区が人気なのでファミリーマンションが多く居住環境としては人気のエリアになっています。
湊町
西側にはアパホテル&リゾート〈大阪難波駅タワー〉(仮称)が建設中です。
建設中のアパホテル
地上40階建て、西日本最大の超高層タワーとして、2024年10月に開業が予定されています。
すぐ裏にJR難波駅があるのでアクセスも抜群で、レストランやプール、フィットネス施設や露天風呂なども完備し、都会の中にいながらリゾートを味わうことができるホテルが構想されています。
その隣にはホテルモントレがあります。
ホテルモントレ
1階にはスーパー「ライフ」、2,3階にはホームセンターのダイキ、4階には書店のジュンク堂が入っており、充実した買い物ができるラインナップとなっています。
筆者も先日、欲しい本があったのでここのジュンク堂に伺ったのですが、広すぎて目当ての本の居場所がわからず検索コーナーに駆け込みました。
この元町周辺はマンションが多いためスーパーも豊富で、ファミリーにはありがたいエリアになっています。
元町の西側は湊町という地域になっています。
湊町はタワーマンションが多いエリアになっています。
浪速公園
少し南には「浪速公園」という公園があります。
浪速公園
浪速公園は、野球場や1周340mのトラックなどを有した広い公園です。
漫才の練習をしている人もいました。
元町2丁目
南に歩いて元町2丁目には、大国町編でオーナーに遭遇した「イワサキクラブ」さんがあります。
五島列島の食材や、市場で厳選した食材を使用したお料理が特徴の居酒屋で、弊社代表もここの常連です。
難波中3丁目
東向きに歩いて難波中3丁目に突入します。
大通り沿いのビルに「紅旗(ホンチー)」の文字。中国の車のブランドです。
難波中3丁目、元町2丁目の周辺はパチンコメーカーやパチンコ店が多く立ち並んでいるのが特徴です。
難波中3丁目を歩いていると見えてきたのがこちらの「エディオンアリーナ大阪」です。
「エディオンアリーナ大阪」は施設命名権契約によってつけられた名称で、本来の名前は「大阪府立体育会館」です。
1952年、鉄骨製の体育館として完成しました。さらに1985年に老朽化のための改築工事が始まり、その2年後に完成、名前も「大阪府立体育館」から「大阪府立体育会館」になりました。
現在でも大相撲春場所や格闘技、バレーボールやバスケットボールの大会などが行われ、非常に賑わっています。
2008年に当時の橋下徹府知事が大阪府立体育会館を廃止して売却するという方針を出しましたが、のちに撤回して存続が決定、存続の条件として運営費削減などの措置がとられました。
この際に命名権の売却が検討され、吹田市に本社を置く、スポーツ用品メーカーのBB-SPORTS(現在のボディメーカー)が命名権を取得、2012~2015年まで施設名が「BODYMAKERコロシアム」に変更されました。
契約の更新はなく2015年4月1日に一旦元の施設名に戻されましたが、同年に家電量販店のエディオンが命名権契約を結び、「エディオンアリーナ大阪」に改称されました。
難波中1丁目
少し北の方に歩いてきますと、難波中1丁目の人気店を発見しました。
こちらが「焼肉 多平」さんです。
まとめ
今回はなんば駅南西エリアを見て回りましたが、いかがでしたでしょうか。
グルメが充実しているだけでなく、繁華街の中心を少し外れるとファミリー層にも人気の居住区があったり、開発中のタワーや駅があったりしますので、遊びに来るだけでなく、住むのにも便利なところだと感じました。
治安に関しても、元町・湊町周辺は落ち着いた雰囲気で、比較的安全であると言えるかと思います。