桜川駅周辺ってどんな街?街ぶらしてみた
なんばの隣駅で、かつ人気のオシャレスポット・堀江の隣町でもある桜川。しかし、特に大きな商業施設や繁華街があるわけでもないため、この辺りで住んでいる人以外はあまり桜川を訪れることがないかと思います。
このため、あまりどういった街なのかご存知ない方も多いでしょう。
そこで今回は、実際に桜川に住んでいたこともある弊社スタッフ・中西とともに桜川周辺を街ぶらしながら、どんな街なのか、そして治安や家賃相場についても解説していきたいと思います。
↓動画でのご紹介はこちら!
"桜川"とは?
そもそも町名の由来になった「桜川」というのは元々、北側にある幸町との町境を流れていた川の名前です。
戦乱の世も終わり徳川幕府が日本を収めるようになって、政権が安定してきた17世紀末期の大阪では、諸大名の蔵が建ち始めるようになりました。
そこで、「大坂の掘り起こし」と呼ばれる、水運の発達を目的とした大規模な土木工事が行われました。
ちなみにこの掘り起こしの際に大きな岩が出てきたことから大阪人は「大坂の掘り起こし、岩起こし」と駄洒落し、これが大阪土産としても有名なお菓子であるあみだ池大黒の「岩おこし」の由来になっています。
桜川もこの掘り起こし工事の一環として、1698年頃に農業用水を得るための川として作られ、運河として利用されました。当時は八丁堀とも呼ばれ、土佐藩や薩摩藩の蔵屋敷があったため、この2藩からの船が多く、荷揚げ場所として賑わいました。
しかし、1914(大正3)年に区画整理や開発のために埋め立てられ、短命に終わりました。現在では千日前通の一部になっています。
元々この辺りは西成郡難波村の一部だったのが明治に入って大阪市に編入され、難波桜川一丁目〜四丁目となりました。
さらに1925年に浪速区に転属すると難波の冠称が外れ、現在の桜川になりました。
桜川駅は1969年に開通した駅で、地下鉄千日前線が走っています。
2009年に阪神なんば線が開通したことにより、神戸・奈良方面への利便性が向上しました。
それでは早速、街ぶらしていきましょう。
桜川駅からなにわ筋を南下していきます。
このなにわ筋から東は湊町に隣接するエリアになっていて、ほぼなんばのような地域なので、今回はこのなにわ筋から西側のエリアを見ていきたいと思います。
大通り沿いは住宅街になっていて、1Kタイプのマンションが建ち並んでいます。このため、一人暮らしされる方も多いようです。
なんばや心斎橋も近いことから、「夜の仕事をしている方が多いんじゃないか」とか、「治安が悪いんじゃないか」とか、不安視するような声も聞きますが、実際にはあまりそういった雰囲気もなく、勿論夜職の方もいるかとは思いますが、特別多いというわけではなく、昼の仕事をしていらっしゃる女性の一人暮らしも多いようなので、治安に関してはあまり悪くないという印象です。
桜川駅から2〜3分歩くと、カヌレ堂 CANELÉ du JAPONさんがあります。
カヌレ堂
フランスのお菓子「カヌレ」の専門店で、とても人気のあるお店です。
小さめのお店なので、1度に店に入れる人数がかなり限られます。購入の際は少人数が行った方がよさそうです。
豊富な種類のカヌレがあり、どれも美味しそうです。
カヌレ堂さんのカヌレ
カヌレを手に入れて嬉しそうな中西
カヌレを購入しました。昭和町住まいメンバーに差し入れしてみます。
ほうじ茶味を堪能する喜納とあんず味の美味しさに驚く廣田
外はザクっと、中はねっちりとした食感でとってもおいっしい!
廣田はあんず味が美味しかったようで、しきりにあんずあんずと呟いていました。
喜納はほうじ茶味を選んだようです。シブいですねぇ。
昭和町住まいメンバーにも大満足いただけた所で、街ぶらを再開しましょう。
桜川の家賃相場については、ホームズさん調べで
1K 62,200円
1LDK 100,400円
2LDK 143,800円
となっています。
綺麗で新しいマンションが多いことや、立地の利便性の高さからここに住む人も多く、家賃相場としては大阪市内でも比較的高いように感じます。
駅から南に5〜6分ほど歩くと、スーパー「ライフ」があります。
ライフ 塩草店
ライフは深夜12時まで営業しているのに加え、ドラッグストアも入っているので便利ですね。
桜川駅周辺はスーパーが多いのでよりどりみどりです。
ちなみに、このあたりは塩草という地名になります。
かつてこの辺りには海岸が広がっており、生い茂る芦(草)の間から海水の塩が香っていたのが地名の由来だそうです。
10分ほど南に歩くとマックスバリュとしまむらもあるので買い物には便利です。
ライフからさらに5分ほど歩くと、ヘルシー温泉 タテバがあります。
このヘルシー温泉タテバ、早朝5時まで営業しているのが特徴です。
飲んだ後にフラっと立ち寄ることもできますね。
日焼けマシンがあったり、軽食を食べる事ができたり、様々なサービスがされています。
雰囲気もよく、地元の方にも愛されている温泉です。
桜川と大国町が近いことから、弊社スタッフもよく来ているようです。
関西で長年にわたって愛されるTV番組「探偵!ナイトスクープ」でも紹介された「地獄風呂」という激熱の湯や、サウナに水風呂と、お湯の種類も豊富で入浴を楽しむ事ができます。
タテバというのは地名で、「立葉」と書きます。
木津川沿いの芦が茂る(葉が立っている)様子が地名の由来だそうです。
塩草、立葉、芦原、この辺りは芦に関する由来を持つ地名が多いですね。
まぁヘルシー温泉タテバがあるのは立葉ではなく桜川なので関係ありませんが。
なんやねん、って感じですね。まるで千葉にあるのに東京を名乗っているディズニーランドみたいです。
この理由は後述する、姉妹店であるヘルシー温泉 桜川が桜川にあるからだと思われます。
温泉から北に1分ほどのところには、赤手拭稲荷神社があります。
創建年は詳しくわかっていませんが、慶長年間(1596〜1615)に建てられたと言われています。当時はこのあたりは堤防だったそうで、その堤防の上にあった「浪除松(なみよけまつ)」という古く大きな松の木の下に祠を祀ったのがはじまりで、当初は「松の稲荷」と呼ばれていたそうです。
赤手拭の由緒としては、一説には頻繁に狐に荷物を盗まれていた源三という堺の魚屋が、「これ以上狐に荷物を盗られないように」と、紅染の手拭を祠に供えてお祈りしたのがはじまりだと言われています。
1945(昭和20)年の大阪大空襲で一度焼失してしまいますが御神体は残っており、本殿はその3年後の1948(昭和23)年に再建されました。
400年ほどの歴史を持つ当社ですが、古くから商売繁盛の神が祀られる霊験あらたかな神社として参拝者が多く訪れていたそうです。
この辺りの地名である「稲荷」からも、この神社がいかに地元住民に大切にされてきたかが窺えます。
赤手拭稲荷神社に祀られている神様は
・食料や産業の神である豊宇気毘売神(トヨウケビメ)
・日本最古の踊り子であり芸能の神、そしておたふくのモデルであるともいわれる天宇受賣命(アメノウズメ)
・山と田の神である大山津見神(オオヤマツミ)
・道祖神として有名、天宇受売命の旦那さんでもあり天狗の元ネタともいわれる猿田毘古大神(サルタヒコ)
・稲荷神であり食糧や五穀豊穣を司る宇迦之御魂神(ウカノミタマ)
の5柱が祀られています。
また、ここは落語の「ぞろぞろ」という噺の舞台としても有名です。
赤手拭稲荷神社の門前で茶屋を営む老夫婦がおり、非常に困窮していたものの信心だけは忘れておらず、稲荷神社に参拝して商売繁盛を祈ったところまもなく客が来店、壁に一足だけ吊るしてあった草鞋(わらじ)を買っていきました。
ついに売り物がなくなってしまったと2人が嘆いているところに客が来店、草鞋を所望します。もう売り物はないと告げる老夫婦ですが、なんと壁には草鞋がかかっているのです。
次々に来店する客、ぞろぞろと壁に降りてくる草鞋、2人は稲荷神社のご利益だと喜びます。
それを見た向かいの床屋の親父が老夫婦になぜ繁盛しているのかと聞きます。
老夫婦は一部始終を説明、床屋の親父は早速神社に参拝します。
心からの祈りを捧げ、急ぎ店に帰ると客が溢れかえっています。
床屋の親父を急かす客、親父は内心大喜び。意気込んで客の髭をスッと剃ります。すると新しい髭がぞろぞろ……
というストーリーです。なかなかユニークな物語ですね…
このように古くから商売繁盛の神として地元住民に愛されている赤手拭稲荷神社を出て、北に向かうと「アポロワンビル」があります。
桜川、といえばここを思い浮かべる方も少なくないと思います。
よく「アポロビル」とも呼ばれるこの施設。ちなみに阿倍野区にある映画館が入った複合ビル「きんえいアポロビル」とは全く関係ありません。
B1F〜6Fまでがショーパブになっているという驚きの風俗ビルです。
裏手に小さな公園があってなんともいえない気持ちになります。
昼は子供達が、夜は大人達が遊んでいるんですね…
「住宅街の真ん中にこんな施設があれば治安も悪いのではないか?」という方もよくいらっしゃいますが、その対策として夜間はビルの周りに警備員さんが立っていて、酔っ払いを静かにさせたりしているくらいなので、むしろ他の地域よりも街の雰囲気は落ち着いている印象です。
駅の方にはディスカウントショップの「ジャパン」と「食品館 アプロ」があります。

↑ジャパン ↓アプロ
お恥ずかしながら、筆者はジャパンというディスカウントショップをここで初めて知りました。地元にはなかったもので…
ジャパンはスギ薬局グループが運営するディスカウントショップで、関西を中心に店舗を展開しているそうです。
2023年8月現在近畿の店舗数は、大阪府内に51店舗、兵庫県に29店舗、京都府に13店舗、滋賀・奈良県にそれぞれ6店舗、和歌山に0店舗です。筆者の地元が特定されましたね。
このように、駅周辺を中心に多くお店が展開している桜川。すぐになんばに出ることもできますし、買い物には困らない便利な街です。
さらに北側に向かって駅の近くに北京料理 龍 (ロン)さんがあります。
本日はここでお昼ご飯をいただくことに。
メニューも豊富!
中西はカレーチャンポン麺を食べることに。
カレーチャンポン麺
野菜が多くてあっさりしています。ボリュームも結構あって大満足!サラサラっと食べてしまいました。
カメラマン・眞野はエビチリ焼きそばを選択。
エビがプリップリ!結構ちゃんと辛いので、辛いものが苦手な方は注意が必要かも。THE・エビチリって感じの味で美味しいです。
2人とも大満足でお店を出ました。
こんなに嬉しそうな顔をしていますが、熱いカレーチャンポンを一気に食べたので中西の上顎は今にもめくれそうになっています。
人気メニューだと聞いていたのでカレーチャンポン麺を注文したのですが、店内でカレーチャンポン麺を食べているのはまさかの中西だけでした。なんでやねん。
少し南の方には、先程ご紹介した「ヘルシー温泉 タテバ」の姉妹店、ヘルシー温泉 桜川があります。
外観は赤と黒という、パチンコ屋と見紛うクールな配色。
ここはラドンスチームを使用したスチームサウナが特徴的で、呼吸や皮膚からラドンを取り込み、エネルギー作用で体温をあげて発汗作用を促進。美肌や健康維持にも効果がある他、高血圧にも効果があるようで、ストレスを受けやすい人におすすめです。
ラドンは喫煙に次ぐ肺ガンのリスク要因といわれており、日常生活において受ける放射能の多くは土や石建材、空気中などに含まれているラドンによるものだといわれています。
しかし低濃度ラドンを含んだ温泉は、前述したように体に良く働きかける効能があるためむしろ健康に良く、古くからラジウム温泉や放射能泉などといって療養泉として人気があります。
日本は広島と長崎に原爆を落とされた唯一の被爆国です。さらに2011年の東日本大震災では原発事故による被曝が全国的に懸念されました。
このような歴史から、日本人は放射能に対しての忌避感がとても強く、「少しでも放射能があれば危険」と考えてしまう人が多いですが、やはり物は使いよう、ラドン温泉のように、賢く使えば健康に良いものとなるのです。
過去の暗い歴史から物事を学ぶことはとても大切です。
問題を引き起こした放射能を封印するのではなく、危険性や活用法を十分に学ぶことで、豊かな生活に繋げていくことが何より求められます。
使い方次第で薬にも毒にもなるものを、頭ごなしに否定してチャンスをみすみす逃してしまうことは非常にもったいないことです。賢く生きたいものですね。
話が逸れてしまいましたが、こちらのヘルシー温泉 桜川とヘルシー温泉 タテバには、とてもありがたいポイントがあります。それは営業時間です。
ヘルシー温泉 タテバがお昼2時から早朝5時まで営業しているのに対してこちらのヘルシー温泉 桜川は朝6時から夜12時まで営業しています。
さらに両店とも年中無休で営業しているので、朝5〜6時までの1時間を除けば、どちらかの店舗に行けば毎日必ず入浴できるというシステムになっています。桜川に住んでいる人にはありがたいですね。
桜川駅に戻ってきました。
駅のすぐ目の前には、アンナンナン(un ninnin)というパン屋さんがあります。
un ninninというのはフランス語の赤ちゃん言葉で、「肌身離さず持ち歩いている愛着のある物」という意味だそうです。なんてかわいい言葉でしょう。
外国にも赤ちゃん言葉ってあるんですね。そりゃあるか。
店内の様子(ピークタイムを過ぎていたので少しパン少なめ)
こちらは連日行列のできる人気店でしたが、たまたまお客さんの少ないタイミングで伺うことができました。
お店の方が明るいお姉さんで、気さくに対応してくださったのがとても好印象でした。本当にありがとうございます。
お店を訪れたのがピークタイムを過ぎていたのでパンの数は少なめでしたが、どれも美味しそうなものばかりで、店内に漂うパンの香りも相まって、選んでいる最中お腹が減って仕方ありませんでした。
選んだのはこちらの塩バターぱん。
フワッフワの生地と、ジュワッと染み出してくるバターがたまりません。パンの甘みと塩味のバランスもちょうどよく、シンプルかつ豊かな味のパンでした。
これはおすすめです!
アンナンナンさんの隣には「LEAD COFFEE(リードコーヒー)」さんがあります。
こちらは2017年のリノベーション・オブ・ザ・イヤーで総合グランプリに輝いた実績を持つカフェで、希少な豆を使用したこだわりのコーヒーだけでなく、コーヒーが苦手な方のための、季節ごとの様々なドリンクやスイーツも取り扱っています。
さらに2階は系列店のフォトスタジオが入っているという、一風変わったお店になっています。
道を渡って西側には、南海汐見橋駅があります。
汐見橋駅は1900年に高野鉄道の「道頓堀駅」として開業し、翌年「汐見橋駅」に改称しました。
「都会のローカル線」との呼び声高い南海汐見橋線の終着駅で、外壁には開業した1900年当時の姿を描いたアートが描かれています。
1900年といえば、まだ自動車も実験段階で、人々の交通手段はかなり限られていたのでこの汐見橋駅の登場は住民からすればかなり嬉しいことだったのではないでしょうか。堀江の方々もよく活用していたそうです。
戦前は津守駅前に約4000人が働く大日本紡績津守工場があったので、そこに勤める人たちの通勤に使われていたようです。
空襲によって紡績工場は壊れてしまい、もう今となっては利用者数もかなり少なくなってしまいましたが、細々と運行を続けています。
また、駅の北側には駅名の由来になった汐見橋が架かっています。
橋の上から潮の満ち引きを観測することが出来たのでこの名前がついたと言われています。
弊社スタッフ・中西が桜川に住んでいた頃は、桜川の駅から電車に乗ることはほぼなく、なんばまで出ていって電車に乗っていたようです。
ここで話題は「中西がなぜ桜川に引越したのか?」という内容に。
中西が桜川に引っ越した理由は、職場が大国町だったから、というのが大きいようです。
やはり交通の便がいい桜川。なんばや心斎橋だけでなく、大国町も自転車圏内です。その利便性を買って桜川を引っ越し先に選んだそうです。
しかし実は桜川に引っ越す前はなんばに住んでいた中西、なんばから桜川という超近距離で、なぜ引っ越しが必要だったのか。そこには不動産屋ならではの理由がありました。
中西『やはり不動産屋を営む以上、定期的に引っ越しすることが大切。普段お客さんには丁寧に接しているつもりでも、客側の立場に立ってみれば「もっと前もって説明して欲しかった」「よくわからなかった」ということはよくあります。』
そういった気づきを得るため、いわば「初心に返るため」に中西は引っ越したそうです。不動産屋の鑑ですね。
南海線の西側、桜川四丁目の方に歩いてくると、少し景色が変わります。
元々はこの辺りは倉庫が多かったので、現在でも倉庫が立ち並ぶような街並みになっています。
しかし最近はマンションが建ち始め、住宅街に様変わりしてきているという印象です。
以前の桜川の西側は工場や倉庫が多く、夜道が暗かったので女性の独り歩きは危険とされたり、治安を不安視されたりする方も多くいたようですが、現在はマンションも建って人通りも多くなったため比較的安心なエリアといえます。
少し歩くと、551蓬莱の工場がありました。
551蓬莱は大阪土産として有名な551の豚まんを販売している会社です。
「あるとき〜!!」のCMで有名なあれです。
この工場で生地から全て作られており、ここから販売店に配送されていきます。
生地の発酵の兼ね合いで、工場から150分圏内にしか店舗を展開していません。
おいしさを保ったままお客様に食べていただくためのこだわりですね。
余談ですが、2015年10月に551の社員の男性が1分に615グラムのタマネギを早切りし、ギネス世界記録を達成しています。すごいですね。
京都出身の中西も「大阪に出て来てホンマに美味しいと思った食べ物ベスト3に入る」「工場から直接ウーバーイーツして欲しい」「工場見学したら豚まん食べさせてくれんかな…」と、豚まんにメロメロです。
熱々の豚まんをハフハフ言いながら食べたいですね。
また、551の商品は豚まんだけではありません。筆者は初めて551のシュウマイを食べたときの感動が忘れられません。チルド焼売の味しか知らなかった少年にとって、パワフルな肉感としっかりボリュームのある551のシュウマイは刺激的すぎました…
他にもモチモチで香ばしい中華ちまきや甘くて美味しいアイスキャンデーなんかもあるのでおすすめです。この2商品は味のバリエーションも豊富で選ぶのも楽しいです。
蓬莱の工場から北側へ、千日前通を渡ると幸町というエリアになります。
幸町は浪速区にあるものの、学校区は西区になっているので、小・中学校は比較的人気の高い日吉小学校や堀江中学校のある西区に通わせたいというファミリー層に人気です。
幸町という町名の由来は定かではないのですが、災害が頻発していたことが由来していると推察されます。
この辺りは海に近かったため、台風や洪水などの水害の被害が甚大な土地でした。
特に1854(安政元)年の安政南海地震の際には大津波が押し寄せ、大阪市中で約5,600人の犠牲者を出しました。当時の大阪は町の中をいくつも川が通っていたため、川の小舟に避難した人々が多く犠牲になったそうです。
この5ヶ月程前に三重県伊賀上野で内陸直下型地震が発生した際に多くの町人達が船に避難して無事だったために同じように船に避難したようですが、安政南海地震は海底地震だったため、結果として甚大な被害を出す結果となってしまいました。
こういった災害に見舞われることが多かったことから、人々は町の安全を願って「幸町」と名付けたのでしょう。
西淀川区には「福町」がありますが、こちらも海岸線にあり、同じような理由でつけられたようです。
すぐ北側が道頓堀川という立地の幸町は、昔その道頓堀川で木材を運搬していた名残なのか、木材屋さんが多く建ち並びます。
江戸時代初期、大坂の陣によって崩れた大坂城や城下の復興のため、木材の需要が急激に高まりました。
そこで当時木材を最も多く出荷していた土佐藩は幕府の許可を得て市場を開きます。
これが日本初の木材市場です。立売堀川、西横堀川の木材市場は多くの人で賑わったようです。
明治維新後には木材市場の独占市場化が目立つようになり、不公正な取引の制度は近代化による需要増大に伴ってエスカレートしていきます。
この状況を打破するため、1924(大正13)年、新興仲買商らによって汐見橋に「大阪木材相互市場」が開かれ、木材市場は公正な取引が行われるようになりました。
このように江戸時代から昭和までは木材運搬が盛んだった道頓堀。
保管や移動が便利という点から、川は木材の運搬に最適でした。
道頓堀を渡ると、西区に入ります。
西区に入るとすぐそこに関西スーパーがあります。
桜川からも近く、すぐ行ける場所にあるので、こちらを利用される方も少なくないかと思います。
それでは桜川の方に戻っていきましょう。
綺麗で新しいファミリーマンションも建っていて、街がどんどん綺麗になっていきます。
なにやら美味しそうなお店を発見。
こちらはKroome(クロメ)さんといって、黒豆をふんだんに使ったパンが人気のお店です。
1階がパン屋さんになっており、2階はKROOME COFFEE(クロメコーヒー)というカフェになっています。
黒豆バンズのハンバーガーも売っているようで、なかなか美味しそうです。
最近では桜川や幸町はパン屋さんなどのかわいらしくておしゃれなお店を街中でよく見かけます。
桜川は、川一本隔てて堀江、という位置にあるので「堀江に準ずる街」、いわば「準おしゃれタウン」といったような雰囲気があります。
堀江は大阪でも最も遅く陸地になった低湿地で、1683(天和3)年に堀江新地が開発されました。
開発にかかった資源の回収のため幕府は市場の開場などの優遇策をとります。
この一環として相撲や能、文楽の興行が行われたり、遊郭も開いたりと、制限されていた民衆の娯楽を堀江に限って許可しました。
様々な娯楽が許可された堀江は文化の発信地にもなりました。
例えば、大坂相撲も堀江が発祥です。
江戸時代初期、観客同士の喧嘩や口論、暴力沙汰が絶えなかったために幕府によって禁止されていた相撲興行は、長い間寺社への寄進目的でしか許可されていませんでした。
しかし南堀江で1702(元禄15)年に解禁されたのを受け、全国から力士が集まるようになり、18世紀後半までは相撲の中心地として栄えました。
他にも芝居が盛んになり、道頓堀の芝居街にも負けない賑わいを見せるようになりました。また、様々な人形浄瑠璃や小説などの舞台にもなっています。
さらに、天満の天満青物市場が独占し他の町で開くことを強硬に反対していた青物市場の営業も、堀江だけは例外的に認められ、近隣の難波村などから農民が野菜を売りにくるようになりました。
このように様々な優遇を受けた堀江はどんどん賑わいを見せるようになりました。
先程幸町でご紹介したように、水運が便利でかつ土地も多くあった堀江周辺は材木業が発達しました。
江戸時代末期は家具、仏具、欄間など関連事業もみられるようになりました。
また、土佐藩の蔵屋敷が全国に向けて鰹節を販売するための鰹座も作られました。
明治時代に入っても堀江は物資の生産・集散地として栄えました。
岩崎弥太郎は現在の三菱グループの前身である九十九商会、そして三菱商会を運営し、関西電力の前身である大阪電灯は道頓堀岸に変電所を作りました。
市電南北線・東西線や関西鉄道の湊町駅、高野鉄道の汐見橋駅など交通の便も非常によく、多くの市民が住み、働き、娯楽に興じるという活気ある地域になりました。
戦後、大阪大空襲で大ダメージを負った堀江ですが、再び材木や家具の仕事、遊郭などが再開され、復興していきました。
高度成長期には川がほとんど埋め立てられ、材木業者は郊外に移転しました。
遊郭も廃止され、雑居ビルや駐車場に姿を変えてしまいました。
やがて団塊の世代の結婚適齢期と重なった1970年代には家具屋街として知られた立花通りが大繁盛しましたが、次第に住民の郊外への転居、郊外にできた大型家具店などの影響で力を失い、90年代には人通りもほぼなくなってしまいました。
しかし1997年、堀江は転機を迎えます。
木津川を挟んだ千代崎に大阪ドーム (現在の京セラドーム大阪)ができ、長堀鶴見緑地線の西大橋駅が開業したことで堀江は再生への第一歩を踏み出します。
廃業寸前だった立花通りの家具屋は代替わりし、「オレンジストリート」の愛称を考案、ベストカップルコンテストなど若者向けの企画を打ち出します。
オレンジストリートの名称は「立花通り」がかつて「橘通り」と呼ばれていたことに由来し、橘→柑橘→オレンジ、ということで、約1,000通の公募の中からオレンジストリートが選ばれたそうです。
アメリカ村などに集まる若年層をターゲットとして始められたこれらの催しでしたが、なかなか客が増えることはありませんでした。しかし「家具の街」を呼びかけ続けるうちにチャンスが到来しました。
アメリカ村の生みの親、日限萬里子が、堀江公園があって緑も比較的多い堀江に着目。ゆったりと過ごせるカフェを開きました。
すると、治安が悪化する一方のアメリカ村に嫌気が差していた若者が堀江の落ち着いたカフェやお店に注目し始めます。
さらに、立花通りの家具屋跡に東京の大型セレクトショップが進出したことや大手レコード会社ビーイング傘下のGIZA studioがライブハウスやカフェを開業、高級デザイナーズマンションの建設や周辺ビルの購入を立て続けに行ったことで堀江は短期間で若者の街に大変貌を遂げました。
これを受けて2000年代にはカフェや衣料店、そしてインテリアショップが次々と開業。デザイナーの拠点としても機能し始めました。
おしゃれタウンとして知られる堀江がおしゃれタウンになったのは意外と最近のことなんですね。
このように、現在堀江は大人気の街として復活を遂げています。
行政の力ではなく、住民たちの手によって復活した堀江は街の再生の成功例として高い評価を受けています。
また、地価は2000年代から上昇しており、2021年現在は地価の高い土地になっています。
まとめ
本日は桜川駅周辺をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
なかなかわざわざ行くことはないかもしれませんが、非常に便利ですし、堀江やなんばに徒歩で行けて、家賃もそれほど高くない桜川は住むにはちょうどいい街なのではないでしょうか。
さらにスーパーも多いですし、ライブがよく開催される京セラドームも近いですし、一人暮らしにはもってこいです。
おいしいパン屋さんや中華料理屋さんもあるのでおすすめの街です。