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新今宮・動物園前駅周辺ってどんなとこ?【治安はどうなの?】街ぶらしてみた

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カテゴリ:エリア情報

新今宮・動物園前駅周辺ってどんな街?街ぶらしてみた


北側には大阪随一の観光スポット・新世界、南側には日本でも有数のディープスポットといわれる、西成区のあいりん地区(釜ヶ崎)、そんなドギツい「大阪」色を持つ新今宮駅・動物園前駅周辺!
過去に起こった暴動などからあまりよくないイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、現状はどうなっているのか。街ぶらして調べてみました!



↑北側 ↓南側


↓動画での紹介はこちら!





"新今宮"とは?


新今宮は、東が四天王寺領、北西には今宮戎神社と大規模な神社仏閣に囲まれた古い歴史を持つ土地で、江戸時代には紀州街道が通り、熊野三山への参詣道として栄えました。

かつては今宮戎神社から現在の萩之茶屋あたりにかけて漁村が点在し、朝廷に魚産物が納められていたそうです。

「海もないのになぜ漁村?」と思われるかもしれませんが、実は江戸時代まで大阪市の大部分は海だったのです!

江戸時代から幕末にかけて行われた「川口新田」という大規模な田畑の開発が行われ、低湿地帯や海が干拓されて現在の大阪市の原型となる土地ができました。



新今宮駅


南海線JR線を有する新今宮駅。区の境界に駅舎があるので、ほぼ同じ位置であるにもかかわらず、所在地はJRは浪速区、南海は西成区となっています。

地下鉄の動物園前駅や、阪堺線(路面電車)の新今宮駅前停留所とも隣接しているので非常にアクセスの良い駅といえます。


それでは早速街ぶらしていきます。
まず動物園前駅1番出口を出て左に曲がり、JR線の高架下をくぐってジャンジャン横丁を見ていきたいと思います。

↑歌うお姉さん ↓歌うおっちゃん


高架下にはギターを弾いたり歌ったりしているミュージシャンの方や、座り込んで歌を歌っているおっちゃんがよくいます。
通路には天王寺動物園の動物たちのポスターが貼られています。



ジャンジャン横丁


駅側から見たジャンジャン横丁

ジャンジャン横丁は、全長約180m、横幅約2.5mほどの狭いアーケード街ですが、人通りが非常に多く、活気に溢れています。

正式名称を「南陽通商店街」といい、なぜジャンジャン横丁と呼ばれるかというと、戦後間もない頃、ここには立ち飲み屋や射的が立ち並び、客を呼び込むための三味線や太鼓などの音がジャンジャンと響き渡っていたためだと言われています。

実際に歩いてみるとかなりの人通り!新型コロナウイルスの感染も落ち着いたためか、外国人観光客の方の姿が多く見受けられました。



少し進むと、千成屋珈琲という喫茶店があります。

千成屋珈琲

ここは「ミックスジュース発祥の店」と言われています。
元々は果物屋さんだった初代店主が、完熟した果実をミキサーにかけてお客さんに提供したところ、大好評だったため定番商品化したそうです。

味にうるさい大阪人を唸らせるなんて、当時の人にとってミックスジュースはよっぽど斬新で美味しいものだったのでしょうね。

メニュー

メニュー表に「冷コー」の文字。
関東の方には馴染みがないかもしれませんが、大阪ではアイスコーヒーのことを「冷コー」と呼んでいました。
といっても、若い人はもうあまり使わない「死語」になりつつありますが。


千成屋珈琲の向かいに弓道場がありました。

半弓道場


新世界周辺にはかつてこのような弓道場がよくあったようですが、時代の流れとともにその姿を消していました。

しかし2022年にこの半弓道場がオープンし、今ではお客さんで賑わっています。


囲碁・将棋が楽しめる


囲碁・将棋に勤しむ方々と、それを外から見守る外国人観光客の方々。

他ではあまり見れない光景ですね。


立ち飲み屋


立ち飲み屋さん串カツ屋さんホルモン屋さんなどが立ち並んでいます。

どのお店も非常に賑わっています。




新世界


ジャンジャン横丁を抜けると、新世界に出ます。


新世界


「大阪といえば新世界」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。


実はこの辺りは明治時代までは荒れ地が広がっていたのですが、1903(明治36)年に開催された第5回内国勧業博覧会(今で言う万博のようなイベント)の会場となったことで土地開発が進められました。


大盛況のうちに幕を閉じた内国勧業博覧会の後、会場の跡地の東側が天王寺公園に、西側が新世界に生まれ変わりました。


新世界はパリニューヨークをモチーフとしてデザインされ、通天閣と遊園地・ルナパークという、2つのシンボルが開業しました。

3方向に放射状に伸びた通りからもパリの街並みの影響が感じられます。

やがてルナパークと通天閣を中心に、新世界には芝居小屋飲食店映画館などが集まり賑わいを見せました。


ルナパークには絶叫マシンや通天閣との間をつなぐロープウェイなど画期的な遊具が設置され、最初のうちは賑わっていたのですが、1912年に明治天皇が崩御、国民は自粛ムードで遊園地に出向くどころではなくなってしまいました。


さらにその後、追い討ちをかけるように千日前に「千日前楽天地」というレジャーランドが開業するとそちらに客足が向かい、経営不振で閉園となってしまいました。




射的


実はこの新世界、射的が非常に多いんです!


射的に挑戦!


早速射的に挑戦してみましょう!狙うは大物!!








……って全然当たらん!!!!!!






見かねて店のお姉さんが的を狙いやすくしてくれました!


よく的を狙って……



シガレット、GET!!!


続けておにぎりせんべいもGET!!!



非常に楽しい時間を過ごすことができました!系列店の串カツ屋さんで使えるクーポンも当たるようなので、新世界にお越しの際はぜひ「射的チャンピオン」さんを訪れてみてください。




続いて天王寺動物園へ向かいます


天王寺動物園



天王寺動物園


天王寺動物園は1915(大正4)年、新世界ができた3年後に開業した、日本で3番目に古い歴史を持つ動物園で、2019年現在来場者数日本第3位の大規模な動物園です。


200種類1000匹の動物が飼育されており、現地に近い姿を見せる「生態系展示」が国内外からの人気を集めています。




映画館


新世界国際劇場


新世界の東側にあるのがこちらの新世界国際劇場という映画館です。

昔は映画館が多く建ち並んでいたようですが、今はかなり数も少なくなっています。


レトロな雰囲気を感じさせる、非常にインパクトのある手描き看板

上映作品もかなり興味深いものばかり…!!
成人向け映画も上映しているのでラインナップが超カオス

この世界観はなかなか他では見られないでしょう。

うれしそうですね。

新世界東映

少し離れたところにあるこちらも映画館。
1つの建物の中に、

・昔の東映の任侠映画など上映する「新世界東映」
・ポルノ映画を上映する「日劇シネマ」
・ゲイ向けピンク映画を上映する「日劇ローズ」

3つの映画館が入っているという、一風変わった映画館です。

こちらもなかなかのインパクト……

たのしそうですね。




続いて少し北側の通天閣へ向かいます。


通天閣



現在の通天閣


全長108m、大阪のシンボルタワーとも言える通天閣ですが、実は2代目だということをご存知でしょうか。


初代通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔を乗せたようなデザインでした。


1943(昭和18)年に起こった映画館で起こった火事の延焼で初代通天閣は鉄骨の骨組みだけを残し燃えてしまいました。


その後、戦時下の金属類回収令で解体・撤去されてしまい、長らくその姿を消していたのですが、「通天閣がないと寂しい」と地元住民が集い、資金をかき集め再建に励みました。


しかし初代通天閣が建っていた場所には民家が建ち並んでしまっており、少し北側に建設されることとなりました。


再建は、死傷者なども出ず無事に進みましたが、事務所スペースの確保を忘れており、途中で慌てて中2階を付け足すと言うお茶目(!?)なトラブルもあったようです。


そして1956(昭和31)年に二代目通天閣が開業しました。


やがて日立のネオン広告が名物となりましたが、実は当初は松下電器産業(今のパナソニック)に広告の掲出の話が来ていたものの、当時社長だった松下幸之助は掲出を見送り、後になって当時の自らの判断を後悔したと言われています。


やがて90年代ごろから新世界は、昭和の名残を感じさせるレトロな街並みが再評価され始め、TVドラマ映画の舞台にもなったので、次第に全国ネットのTV番組で紹介され、多くの人が集まるようになり、徐々に大阪のシンボルとしての地位を確立していきました。




ここからはメインストリートを南下していきたいと思います。



大きな串カツ屋さん


新世界を歩いていると、かなり大きな串カツ屋さんがとても多く見受けられますが、これはかつて映画館パチンコ屋さんが多かったことに由来しています。


新世界に観光客が多く来るようになったため、パチンコや映画の需要が減り、観光客向けの飲食店が増えたのです。


「新世界といえば串カツ」、というイメージが確立されたのも意外と最近ということですね。


そんな串カツ屋さんは、映画館やパチンコの店舗をそのまま改装して使っているので、大きなつくりになっていて、何百席も座れるようになっているところが多いのです。




串かつ だるま



串かつ だるま


新世界のメインストリートから少し路地に入ったところにあるのがこちらの「串かつ だるま」です。


ここは串カツ発祥の店と言われています。


串カツの発祥については諸説あるのですが、一説には、こちらの女将さんが西成の日雇い労働者のために安くてボリュームがあって早く食べられる物を提供するために作ったのが串カツの発祥だと言われています。


「ソースの2度漬け禁止」「無料で食べられるキャベツ」など串かつ屋さんの定番ルールもこの串かつ だるまさんが広めたものなのだそうです。




さらにメインストリートを進むと、ビリケンさんがいます。


ビリケンさん


ビリケンさん。足を撫でると幸せになれる。


謎の金色のキャラクター、ビリケンさん。


「見たことはあるけど結局なんのキャラクターなの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。


ビリケンさんは、1907年ごろにアメリカのイラストレーター、フローレンス・プレッツによって、友人の書いたおとぎ話のために、「人々の希望と幸福の象徴」をコンセプトにデザインされました。


日本には1909(明治42)年頃に伝わり、「足の裏を掻いて笑えば願いが叶う」とされ、人気を博したそうです。


また、ビリケンさんは日本以外にも広まっており、アラスカでは彫刻の題材として、極東ロシアでは民族の守り神的な存在として親しまれているそうです。





スパワールド


スパワールドとマルハン、メガドンキホーテ


新世界の南端に位置するスパワールドは、1997(平成9)年にできた、世界12カ国17種類のお風呂世界8カ国の岩盤浴プールなどが楽しめる、家族連れにも人気な巨大複合施設です。


隣には同年に開業したフェスティバルゲートという遊園地があったのですが、USJの影響などで来園者数が減り、閉園してしまったのですが、その土地をマルハンが買い取って、現在はマルハンメガドンキホーテができています。


なんの因果かルナパークフェスティバルゲート、同じ地域にできたこの2つの遊園地が同じ道を辿ることになるとは。流行というのは怖いものですね……。


また、ここには大阪国技館跡がございます。

1919(大正8)年にできた大阪国技館は、当初は大阪相撲の発信地として機能していたものの、大阪相撲の衰退で大きすぎるキャパシティを持て余し、最終的には1945(昭和20)年の大阪大空襲で焼失してしまいました。




恵美須西


続いて、新世界を飛び出して恵美須西エリアを見ていきましょう。

こちらは新世界エリアとは対照的に、閑静な住宅街となっています。

築年数の浅いマンション一軒家綺麗な建物が立ち並ぶエリアで、どちらかというとファミリー向けといった感じでしょうか。


マンション


続いて南海の線路沿いに南下していきます。


南海の線路


以前は「あまり綺麗ではなく、路上生活者がいる。」そんなイメージだった南海の線路沿いは今では綺麗な印象になっています。



YOLO BASE


YOLO BASE


こちらは外国人向けの職業紹介所「YOLO BASE」です。

内部には宿泊施設飲食店コワーキングスペースを備えています。




さらに南下して、南海とJRの高架下には屋台が出ています。


屋台



↑南海の高架下 ↓JRの高架下


数年前まで何もなかったスペースが開発されて、飲食店が並んでいます。
昼間は数軒開いている程度ですが、夜には人が集まって賑わいます。


OMO7


その反対側にあるのが2022年に開業した星野リゾートのホテル「OMO7」です。

OMO7

高級ホテルのイメージが強い星野リゾートが新今宮に進出したことでかなり話題になっています。

綺麗で広く、緑もあって、おしゃれ。これまでの「西成」のイメージを払拭するようなホテル。スタッフのユニフォームはタレントとしても有名な篠原ともえ氏によるデザインです。

しかし、当初は「宿泊の方だけでなく地域の方も利用できるような開かれたホテル」として開業したものの、実際には地元住民は排除されるとのことで抗議活動が起こったりもしているようです。

OMO7ができるまでここは長い間空き地だったのですが、それまでは何があったかと言うと、中山太陽堂(現:クラブコスメチックス)の本社工場がありました。

通天閣を下から見ると、大きく絵が描かれているのですが、あの絵を描いたのが中山太陽堂なのだそうです。

下から見た通天閣

そして、中山太陽堂の本社工場がなくなってから、和歌山競輪場岸和田競輪場場外車券売場が建設される予定でしたが、地元住民の猛反対で建設が中止になったそうです。



続いてJRの高架下を越えて、あいりん地区を目指します。




あいりん地区


漫画「じゃりン子チエ」の舞台としても有名なあいりん地区をご紹介します。

「あいりん地区」という名称は、暴動などに由来する悪いイメージを改善するために行政やメディアによって制定された名称で、地元の方は元々の地名である「釜ヶ崎」「釜」などと呼ぶ方が多いようです。

なお、現在の正式な地名は萩之茶屋となっています。

新今宮駅前停留所

現在「はんぶんや」というパチンコ屋のあるあたりには「南霞町」という駅がありました。

しかし、第22次西成暴動の際に駅舎が放火され、全焼してしまいました。

その後、仮設の駅舎が建てられましたが、駅舎が本来の位置に戻ることはなく、2014年に「新今宮駅前」に改称されました。

はんぶんや。元はここに南霞町駅があった。

先ほどから暴動、暴動と物騒なワードが飛び出てきますが、あいりん地区ではなんと過去24回労働者による暴動が起こっています。

生活環境や労働環境の改善を求めて起こされた暴動ですが、最大で数千人規模にも及びました。投石したり、車をひっくり返したり火炎瓶を投げたりして抗議を行い、ひどい時には無関係の暴走族までもが乱入、事態は悪化しました。

最後に起こったのは2008年、15年ほど経って今ではもう労働者も高齢化してしまって減少しており、さらに地域の活動で治安も改善しているので、今後暴動が起こる可能性は低いのではないかと思われます。



続いて道を渡って南の方へ




レディゴー


レディゴー


こちらはYouTuberのジョーブログさんが運営している「西成ホルモン レディゴー」です。

ご飯が美味しく、店員さんとの距離も近いので人気があるようです。






さらに西に進むと、あいりんシェルターがあります。


あいりんシェルター


あいりんシェルター


こちらのあいりんシェルターは、寝泊まりする場所が無い方のために大阪市からの委託事業で運営されている宿泊施設です。


申し込みすれば無料で宿泊でき、ベッド数もかなり確保されているようです。




さらに西に向かいます。




そもそも、なぜこのあたりに日雇い労働者が多いかというと、戦後、1970年代に大阪万博が計画され始め、建築業界に人手が必要になった際に、この釜ヶ崎を拠点に、関西中の日雇い労働者が集められたからだそうです。そこからこの辺りは日雇い労働者の街として全国から人が集まるようになりました。


その労働者集めの拠点となったのが、こちら



あいりん労働福祉センター


あいりん労働福祉センター

看板に「殺人行政」の文字

あいりん労働福祉センターと南海の線路の間の道路


ここがあいりん労働福祉センターです。かつてはこの中で仕事の斡旋をしていました。


他にも宿泊できるスペースシャワールーム飲食店などもあったようです。


耐震性に問題があることから取り壊して同じような施設を再建する予定なのですが、まだこの建物の中で住んでいる方達がいて、取り壊しに反対しているので膠着状態が続いているようです。


「これ本当に日本…?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが安心してください。日本です。



そうこうしていると、おっちゃんに絡まれました。


熱弁するおっちゃん


「男は神風特攻隊のような凄まじい姿をみせなければならない」「安倍総理は上でのさばっている」「日本は精神国家」「これからは原子力か原始の時代が来る」など、ありがたいお言葉をいただきました。



おっちゃんに気に入ってもらえたところで、街ぶらを再開しましょう。

あいりん労働福祉センターの横にはテントがあります。この中では路上生活者の方が暮らしています。


以前はこの辺りで「泥棒市」という露天商が行われており、片足だけの靴なども売られていたようですが、近年は露天商が取り締まられているのでかなり少なくなっています。


そして、建て壊しが予定されているあいりん労働福祉センターに代わり、仕事の斡旋業務を引き継いだのがこちらの西成労働福祉センターです。


西成労働福祉センター





道を少し先に進むと公園がありました。


萩小の森


ここでは囲碁や将棋に興じられる方が多くいらっしゃいました。


萩之茶屋市営住宅


このように、新しい集合住宅も増えてきています。


自販機。1本50円や60円の飲み物が並ぶ。


この辺りは、こういった1本50円から買えるような格安の自販機が多くあります。


なんと自販機だけでなく、宿泊施設も格安のところが多く、通称「ドヤ街」と呼ばれます。

ドヤというのは宿を逆から読んだもので、業界用語的なノリです。


1泊何百円、高くても何千円台の宿泊施設が多いです。


格安宿泊施設



「ドヤ街」としての歴史は古く、明治ごろから続いているとされます。


江戸時代、長町(現在の日本橋、でんでんタウンの裏付近)には「木賃宿」という、燃料代を払うだけで宿泊できる施設が建ち並んでいました。


やがて木賃宿は、一時的な宿泊施設という面に加え、失業者の滞留地としての側面を見せていくことになります。


やがて大坂最大のスラムと化した長町周辺では、明治に入ると木賃宿がコレラペストの温床となり、問題視されていました。


最終的には、1898(明治31)年に大阪市内での木賃宿の営業が禁止され、1904(明治37)年に第5回内国勧業博覧会の開催地が現在の新世界のあたりに決定すると、それまで木賃宿を利用していた労働者や生活者は半ば強制移住のような形で釜ヶ崎に送られることになりました。


一方それまで今宮村という村の、のどかな農村地帯だった釜ヶ崎は、「紀州街道が通っており、隣は大阪市」という交通の便の良さから、大阪市で禁止された木賃宿が乱立するようになりました。


そこに強制移住させられた人々が流れ込み、現在のドヤ街の原型を形作ったということです。





そんな負のイメージの大きい歴史も相まって、一般的なあいりん地区のイメージとして「路上生活者が多い」というイメージがあると思いますが、実際に歩いてみると、過去に比べるとかなり減っているという印象です。


これは街の清掃が行き届いていることや、福祉活動に力が入れられていることが大きな要因だと思われます。





西成警察署


西成警察署


そのまま歩いていると、西成警察署が見えてきました。


かつて暴動があったからか、非常に高くてしっかりした柵を持っていることが特徴です。



三角公園


三角公園


こちらは三角公園(萩之茶屋南公園)です。心斎橋のアメ村の方にも三角公園(御津公園)がありますが、そちらとは無関係です。


炊き出し街頭テレビがあるのでかつては路上生活者の方で溢れかえっていましたが、現在は以前に比べるとかなり少なくなっています。


街頭テレビ。国会中継(おそらく)が放映されていましたが、逆光で見えませんでした。






鉄板焼きホルモン やまき


鉄板焼ホルモン やまき


こちらはホルモンが有名な、鉄板焼きホルモン やまきです。濃いめのタレが人気のお店で、串1本80円や90円から食べれるそうです。


70年代頃から屋台を出していたらしく、近くにある「きらく」さんとともに長い歴史を持つホルモン屋さんです。


近年、YouTbeやSNSで多数紹介されて若者を中心に有名になりました。撮影日は平日にもかかわらず、行列ができていました。


このやまきさんもそうですが、西成周辺のグルメ情報を見ていると、何かとホルモン屋さんが多いのですが、それにはかつてこの近くに食肉処理場があったことが関係しています。


当時の日本では、ホルモンは食べずに捨てられていました。


それを朝鮮半島から移住してきた方が調理して食べていたのが「美味しい」と評判になり、広まっていったそうです。


そういった歴史が背景にあるので、「ホルモン」の語源は「放るもん(関西弁で、捨てるものという意味)」からきているという説もあります。


しかしその語源にも、


生理的物質(男性ホルモン・女性ホルモン)の「ホルモン」からきている

・ギリシャ語に由来する、"臓器"や"内臓"、もしくはそれを"活性化させる"などの意味をもつ外国語


など、諸説があります。


平安時代から続いた日本人の食肉への忌避が文明開化によって薄れた明治時代から戦前にかけては、浅草などでもつが食べられていたという情報もあるので、「放るもん」からきた、というのはあくまで「関西での語源」とするのが正しいのかもしれません。





スーパー玉出


スーパー玉出


国道沿いにスーパー玉出がありました。


激安スーパーとして有名な玉出ですが、"〇〇円以上お買い上げで特定商品が1円"になる、というような、バグみたいなサービスもあります。


"デスピサロに8回連続で「逃げる」を選択するとその後の攻撃が全部「会心の一撃」になる"、みたいな。




……話が逸れてしまいました。


気を取り直して、道を渡って東側(天王寺方面)に向かいましょう。




このあたりは地名が「萩之茶屋」から「太子」に変わります。


かつては大坂の陣の後、大坂城下の復興・整理の一環として作られた7つの墓地のうち最古のものといわれる「鳶田墓地」と、隣接して処刑場がこの辺りにあったそうです。


太子という地名は、この鳶田墓地にあった「太子地蔵尊」というお地蔵様から採られたようです。


さて、そんな太子を南下しているとこんな看板が!



飛田新地


飛田新地料理組合の看板



「飛田新地料理組合」の文字。


内部は撮影禁止なので、今回はその歴史がわかるスポットを訪れてみたいと思います。


飛田新地は先程の太子からさらに天王子方面の、「山王」という地域にあります。


「西成(新今宮周辺)といえば」のイメージが強いスポットのひとつではないでしょうか。


筆者もその存在を知った際に、「天王寺の真裏にこんなスポットがあるの!?」と衝撃を受けました。



元々飛田新地があった場所には「飛田遊郭」という遊郭がありました。


当初は難波にあった遊郭ですが、1912(明治45)年に起こった「ミナミの大火」という大規模な火災の影響でこちらに移転してきました。


1958年に売春防止法が施行されて運営できなくなりましたが、現在でもお料理屋さんとしてグレーなライン(かなり黒に近いが)で営業しています。


よく「鳶田墓地があった場所に遊郭を建てた」というような情報も見られますが、先程ご紹介したように、鳶田墓地及び処刑場があったのは太子(飛田新地よりも北西)なので、かつて墓所だったというのは間違いです。




大門


大門


こちらが大門(おおもん)跡です。


かつて飛田遊郭は遊女が逃げないように大きな壁に囲まれていました。壁があるということはもちろん出入口が必要になります。


そのため飛田遊郭には4つの門があり、ここは西に位置して「正門」の役割を果たしていました。


こうしてみるとかなり高く、大きな門があったことが窺えますね。





大門の隣には、飛田交番があります。


飛田交番


この交番は飛田遊郭ができた当初からここにあったといわれています。


当時、犯罪者が犯罪を犯した後に遊郭に来るということがよくあったらしく、その取り締まりのためにこの場所に交番が設置されたようです。





大門の逆側(飛田新地の東側)には、当時の遊郭を囲っていた壁の名残が残っています。


嘆きの壁


嘆きの壁

「嘆きの壁」と呼ばれたこの壁ですが、当時はさらにこの上に壁があったそうです。

元々上町断層という断層の影響でかなり低い位置にあった飛田遊郭に、さらに高い壁を盛るとは…非情さを感じさせます。

この壁が作られた理由は遊女が逃げないようにするためと、もうひとつ、娑婆(俗世間)とは乖離した場所であるということを示す為だったといわれています。
東京の吉原遊廓にあった「お歯黒どぶ」という堀も同じような理由で設置されていました。

しかし、吉原遊郭で大規模な火災が発生した際に、遊女が集団的に焼死するという事件があり、それが大問題となって嘆きの壁は一部を残して撤廃されることとなりました。




続いて、大門からすぐ隣にある飛田本通商店街を見ていきたいと思います。

飛田本通商店街


飛田本通商店街

飛田本通商店街「動物園前一番街・二番街」の愛称でも知られるアーケード街で、かつては1970(昭和45)年の大阪万博の頃には建設業で働く人たちで非常に賑わっていたそうです。

実際に歩いてみての感想としては、「カラオケ居酒屋が多い」!!

カラオケ居酒屋

そこかしこにカラオケ居酒屋が乱立する商店街。

まだお昼だったので閉まっているお店や開店準備をしているお店が多かったのですが、おそらく夕方を過ぎればこの辺りも歌声が響き渡るのでしょう…

なぜこんなにカラオケ居酒屋が多いのか調べてみましたが、どうやら中国系の不動産屋さんが店舗を買い占め、中国人のママが店を切り盛りするというシステムが展開されているようです。なんだかきな臭くなってきましたね…

「男の美学」

壁に格言が書かれていました。
労働者の街、強い男の時代の名残を感じさせる言葉でした。

壁に「居酒屋で覚醒剤を売るな!」の文字

その横にはなにやら恐ろしい文言が……

居酒屋で覚醒剤を売るな!とのこと。

以前は売人の温床だったのでしょうか……?
いずれにせよこの警告文が必要ない社会になることを願うばかりです。



さらに少し歩き、路地に入るとオーエス劇場という劇場があります。

オーエス劇場


↑オーエス劇場の看板 ↓オーエス劇場の外観


ここでは大衆演劇の公演が行われています。
1954(昭和29)年にできた(ゴジラと同い年!)オーエス劇場は、毎月全国から劇団が訪れ、1ヶ月ごとに公演を行っており、かなり人気があるそうです。




続いて、動物園前二番街を抜け、動物園前一番街に入っていきたいと思います。

動物園前一番街


動物園前一番街

一番街と二番街の間で一度アーケードが途切れるのですが、もうこの時点でおっちゃんの歌声が聞こえてきます。

※誇張表現なしです

先程の二番街に比べて開いているカラオケ居酒屋が多くなってきました。

商店街というと最近はシャッター街のようになっているところも多いのですが、この飛田本通商店街はかなり開いている店が多く、活気がある印象です。

右手に空き地

歩いていると、写真右のような工事が行われているような空き地(?)が散見されます。
これからこの辺りも開発が進んでいくのでしょうか。


駅前



駅前

商店街を抜けると駅前に戻ってきました。

海外からの観光客と思しき方が「Yeah~」と言って通り過ぎて行きました。

近年は海外からの観光が多く、外国人向けのホテルが作られたり、古いホテルが外国人向けにリメイクされたりとどんどん観光地化してきています。

新型コロナウイルスの感染も落ち着いてきたのでまた一段と人が増えた印象でした。




まとめ


今回は新世界周辺とあいりん地区周辺を見て回りましたが、いかがだったでしょうか。

実際に歩いてみると、新世界周辺は、観光客を集め続ける一大観光地として多くの人で賑わっていました。

あいりん地区はかつての荒々しい雰囲気は鳴りを潜め、治安福祉活動地域の清掃などにも力が入れられていることがわかりました。


人々から悪いイメージが払拭されるにはまだ時間を要するかもしれませんが、確実に、以前のように危険な街ではなく、どんな人でも受け入れる、寛大な街になっていっていると感じます。

時代に合わせ、姿を変えていく街に強い生命力を感じた街ぶらでした。

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